矛盾について
我家には猫がいますが、彼女はずっと外で暮らしている為かもの凄く野生に近い生活をしています。
もちろん我家で飼っている自覚はあるので餌を与えます。
しかし、避妊手術を終えているので彼女の健康管理の為に少なめの食事制限をしているのです。
人懐っこい猫で名前をベタな「タマ」というのですが、呼ぶと「ゴロにゃ〜ん」と漫画のような鳴き声を出しながら走ってきます。
先日、ベランダの彼女のお気に入り昼寝ポイントの近くで向こうを向いて一心不乱にゴソゴソしていたので「タマ!」と呼びました。
すると振り向いた彼女の口元に赤い液体と鳥の羽が・・・
「ゴロにゃ〜ん」です。
鳥を狩って食べていた訳なのですが、平和ボケした僕にはその姿に2面性を感じずに居られませんでした。
愛らしい表情で僕の足元にスリスリしながら喉を鳴らす彼女と鳥を狩って羽をむしりながら骸を食す彼女。
一方でこんな記事を見て全く見当違いな、おかしな考えを持つ人もいるものだと考えたりする訳です。
http://jin115.com/archives/52101856.html
僕の住んでいる地域は田舎で山の麓なので熊の恐怖は会ったこと無いけど解ります。子供達の通う小学校の付近に熊が出たなんてニュースを聞いたら早く駆除してもらえないかと思うと思います。
「熊の生活圏を人間が奪っているのだから射殺は酷い」という論調のようですが。
じゃ、お前が、お前の家族が三毛別羆事件のように喰われてみろ・・・
こんな記事もあります。
http://maypat01.blog.fc2.com/blog-entry-17.html
・・・・・・
随分暇そうですね・・・
どうせ暇ならもうちょっと世の中のためになる事に時間を使いませんか・・・
と言ってあげたいですね・・・
発想がシーシェパードみたい・・・
「発情期ではない豚にまたがるのは強姦も同じ」
・・・・・・・
何者か知らんが思うに、強姦された事も発情期の豚だった事も無いだろうから何のたとえなんだ?実感できない事が同じく実感できない事と同じという言い回しは根拠が無い上にそれを発言する意味が解らない。
あまりにナンセンスすぎるコメントに絶句する・・・
子供向けの映画に「マダガスカル」というのがありますね。
(ネタバレありますよ)
ライオンとかシマウマとかキリンとかサイとかペンギンやリスザルみたいのがニューヨークの動物園抜け出すんだったかなんかでマダガスカルに行って、だんだん親友であるシマウマが食肉に見えてきたライオンが悶々とするんだけど、結局ペンギンたちの用意した寿司で代用して親友を喰らう事を避けるやつ。
いいんですか?魚はいいんですか?殺して食っても?
こんな事を宣う知性が欠落した方もおられます。
「家畜を殺すの反対!だから自分、ベジタリアンです!」
植物は生物ではないのですか?モノを喋らないし、感情も表さないけど完全にヤツら生きてますよ。畑に育つ植物を見れば手に取るように解る。
詰まる所。
私たち人間は・・・いや、生のある者は全て他の生き物を殺戮し、取り込む事でその存在を維持していると言って言い過ぎでは無いと思います。
ウチのタマも本能か何か解らないけど彼女が鳥やネズミを狩るのは彼女が生きるため、では無いにしても欲求を満たすために彼女にとって実に健全な当たり前の事なのです。
熊が畑を荒らす事、三毛別羆事件に見られる人里に降りてくる事も、それを駆除する人間もこの場所で生きて行くため、生存競争です。命がけ。
豚にまたがる事やそれに反対する事は・・・まあ、ホントどうでもいい気しますけど。
なんにしても僕が思うのは、カッコ付けなくていいのです。
自分が生きる
その事に邪魔になるものはどかしながら進めば良いのだと思います。
豚を食べたいから殺しているのを知っているけどその命に感謝しながら食べる。
人間は死ぬ事に向かって懸命に生きている矛盾の塊のような存在だと何かに書いてありました。
存在自体が矛盾なのです。
それに折り合いを付ける必要があるのなら付ければいい。
開き直って、でも僕の進むその足下に転がる無数の骸の存在を感じながら生きて行ければ良いのじゃないでしょうか・・・